忍者ブログ

凪司工房の徒然

お知らせ・小説・ツイノベ・随筆・エッセイなど

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ドナウよ、静かに流れよ(文春文庫)―Flow still, the Danube―

ノンフィクションとか、フィクションとか、関係無く、
唯一つの物語として読んだ、大崎善生の著書である。

確かに事実を追って書かれたものであるけれども、
予備知識無く読めば、通常のノンフィクションものに抱くイメイジでは
捉え切れない作品である事は、直ぐに(または徐々に)分かってくる。

拍手[0回]



最初は何気無い記事だ。
それどころか、作者の日常の方がより濃い印象を残すかも知れない。
それぐらいに、遠い所に存在していた、けれど、事実の欠片で、
誰しも経験するだろう、何故か心のどこかに引っ掛かって、忘れようとしても、
どうしても気に為ってしまう。
そんな小さな棘みたいなものだった。

ずっとずっと遠い場所に在る其れは、手を伸ばさなければ、足を伸ばさなければ、
喩え「事実」と分かっていても、幻想(フィクション)と何ら変わりない。
そんなものだ。

けれど(こういうのを運命的と言うのか)、筆者は手を、そして、足を伸ばした。
其れは唯「彼女に呼ばれた」からだ(もちろん、霊とか、幻聴とか、そんなもの
では無く、充分な比喩である)。

近付けば近付くほど、確かに「形」は見えてくる。おぼろげだった其れは、
徐々に「一つの何か」に成ってゆく。
けれど。
何かが違う。

痛ましい19歳の少女の死が描かれたもの?
それとも、30過ぎた男性とまだ10代の女性との、悲恋?
どれも違う。
狂った男に騙された女性の末路?
其れも違う。
違う。

事実は一つしか存在していないかも知れない。
けれど、其れをどう見るかは、それぞれに任せられている。
世の中の多くの事象がそうであるように、此の一つの事件についても、同じだ。

ドナウ河を、まだ見た事は無い。
ひょっとすると、そこに連れて行かれても、最初は其れが河と思えないかも
知れない。
見ても、触れても、感じても、分からないものも、沢山在る。
でも、何も感じない訳でも無い。
確かに存在する「何か」。

此れはそんな、一つの「物語」であるのかも知れない。
PR

コメント

コメントを書く

お名前:
タイトル:
文字色:
メールアドレス:
URL:
コメント:
パスワード:   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

トラックバック

この記事にトラックバックする:

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

プロフィール

HN:
NAGI Tsukasa WORKS
性別:
男性
職業:
不詳
趣味:
小説、妄想、読書、音楽、(料理)

フリーエリア

カテゴリー

最新記事

最新CM

リンク

最新TB

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ