夏目漱石の最初の本にして、日本で最も有名と言っても過言では
無い猫小説である。
非常に有名な書き出しは、川端康成の雪国と並んで、内容を知らなくても
多くの人が諳(そら)んじる事が出来る名文である。
今回は、そんな日本文学の一作品について。
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元々、英文学者であった漱石が何故、小説を書くように成ったのか。
それには正岡子規が関係している。
漱石の才能に目を付けていた子規は、自分の雑誌「ホトトギス」に
散文を書くように勧め、其れが「吾輩は猫である」の第1回の作と
成った。
此の時、作品のタイトルを漱石は「猫伝」とするか「吾輩は猫である」と
するか悩んでいたという。それが後者に決まったのは、ひとえに子規の
慧眼ゆえであった。
ちなみに、第1回の作品には子規の手も入っているらしい(つまり其の分
読み易いかも知れない)。
此の小説は元々続けて書くつもりでは無かった為、1つ1つの作品は独立
している、といっても良い。全体としては登場人物は同じだが、最後まで
読んで大きな物語に成っている、という訳では無いのだ。
此の作品は「猫」の視点から描かれ、そこに登場する人間達に対して、
批判の目を向けている。
だが、其の「猫」本人が、実に人間らしい行為の為に、あのような最期を
遂げるのは、実に自虐的だ。
つまりは他人を笑うものは最期には自分も笑われる、という事なのかも知れない。
他人を批判するだけでは終わらなかったという事が、漱石の漱石らしい、
素晴らしい才能だったのかも知れない。
しかし、実に内容の濃い文章で、500ページほどのものが、其の倍にも
感じられた作品だった。読む時はじっくりと時間を掛けて、其の文章・文脈の
一つ一つをじっくりと味わいたいものである。そういう良作である。
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