三島文学……。
そう呼ばれるほど日本の近代文学を語る上で重要な人物。
中でも名作に上げられる「金閣寺」を読んでみました。
(おそらく高校生なんかの読書感想文用の推薦本の1冊だったするのでしょうね、
今でも)
今回はそんな名作文学について。
[0回]
実際に昭和25年の夏に起こった、京都の金閣寺放火事件を題材にして、
其の6年後に発表された小説です。
かといって、小説なので決してルポのような実際の事件を追った形式のものでは無く、
金閣寺放火事件を借りて、三島由紀夫が自分の主義主張を語ったものだということは、
想像に難くないと思います。
此の小説は、終戦後間も無く起こった象徴的な事件に場を借りた、30歳に成る
三島由紀夫の青春の総決算のようなものでしょうか。
(かといって、此の場で三島由紀夫文学論を語るつもりは有りません)
体が弱く吃(ども)りというコンプレックスを抱えた若い学僧が、様々な事に
悩み、考え、経験し、また悩む。
其の悩みは家族の事で有ったり、自分自身の事で有ったり、またもっと大きく世間に
対しての悩みで有ったり、もっと抽象的な道徳倫理みたいな悩みで有ったりする。
こういった悩みの一つ一つは、それぞれ誰もが抱える悩みと同じだろう。
内容は違えど、日頃から、多くの人が考えている事だ。
誰だって、自分という人生の主人公のようなもので、悩み苦しみ、悦び楽しみ、
生きている。
其れが歪んだ方向へ向かえば、こういった事件に至る場合だって在る。
誰だって、誰かを、何かを傷付ける可能性は持っているのだ。
でも、先がどう成るのか、どう成っているのかなんて、誰にも分からない。
分からないから、怯える。不安に為る。
最初に読み終えた時は、
「ああ、これは若い男性の初めての性体験のようなものだな」
と思っていた。
幻想を抱き、其の幻想に辿り着くと、結局「ああ何だ。こんなものか」と
思ってしまう。
けれど、其れって、性体験だけで無く、何についても言えるものかも知れない。
それこそ、人生そのものについてすらも。
結局、金閣を燃やしたところで、何も変わらない。
其れは只幻想を燃やしたに過ぎないのだ。
そう。
青春とは、幻想そのものの別名なのであろう。
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