「ボクの方がもっと食べられるよ」
「ぼくの方がもっともっと食べられる」
「ボクはもっともっともっとだ」
「ぼくはもっともっともっともっとだ!」
そんな子供のような意地の張合いって、在りますよね。
こうやって「もっともっと」と数を増やしていった先に、
人類は「無限(大)」という考え方を獲得しました。
けれど此の「無限大」。なかなかやっかいな性質を持っているようですね。
[0回]
ここに赤い袋と青い袋の2つが在ったとします。
更に其の周囲には自然数(1、2、3……)の球が沢山在ります。
そして、赤い袋には「1、2、3、4……」と順番に球を入れていきます。
青い袋には「2、4、6……」と偶数の球だけを入れていきます。
そうやって、ずっと球を入れ続けると、最終的にはどちらの袋が沢山の球を
入れられるでしょうか?
直感的に考えてみると、どうも赤い袋の方が沢山の球が入っているように
思えます。
もし仮に、此れが100とか1000とか、限られた数だった場合は、確かに
そうなのですが、限りなく沢山(つまり無限大)と成ると、話しは違ってくる
のです。
赤い袋には「1、2、3、4……」と順番に球を入れています。
青い袋には偶数の球しか入れません。
赤い袋で「1」を入れた時、青い袋には「2」が入ります。
赤い袋で「2」を入れた時、青い袋には「4」が入ります。
赤い袋で「3」を入れた時、青い袋には「6」が入ります。
こうやってずっとやっていくと、実は幾らでも赤い袋の球に対して
青い袋の球を入れる事が出来るのです。
つまり、赤い袋と青い袋には同じ数だけの球を入れる事が出来たのです。
これが「無限大」という考え方の妙な所の一つです。
さて、今度は赤い袋には「1、3、5……」と奇数の球を入れていき、
青い袋には先ほどと同じく偶数の球を入れていきます。
これは直感的にどちらも同じ数に成りそうだ、という事は分かります。
けれど、ここで赤い袋の方に更に「2、4、6……」と偶数の球を入れます。
と、どう成るかと言えば、先ほどやった「1、2、3……」と順番に球が
入った赤い袋が出来上がるのですね。
が、ここでおかしな事が起こります。
奇数の球だけ入った赤い袋と、偶数の球だけ入った青い袋は「同じ」。
でも、奇数も偶数も(つまり自然数全部)入った赤い袋と、偶数だけの青い袋は、
先ほど「同じ」だと言いました。
何か妙では無いですか?
これは
「無限大」+「無限大」=「無限大」
という、何とも奇妙な式に成ってしまうのですが、無限大の世界では、
ある意味正しいのです(無限大を認めない世界も存在する)。
「無限」というと、何だか感覚的には分かったような気に成る言葉なのですが、
これが実は感覚的にはとても捉え難い性質を持っているのですね。
「永遠」なんて事を言います。
けれども、其の「永遠」ってものは、私達の感覚とは遥か遠いところに存在して
いるものなのですね。それこそ「無限の彼方」に。
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